ナイチンゲールの真実

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フローレンス・ナイチンゲールほど、近代統計学の発展に貢献した学者はいないと言われているのをご存じでしたか。

「病人を救うのは、宗教者の愛よりも衛生環境である」と彼女は言っています。

1854年 34歳 看護婦団を率いてクリミア戦争のスクタリ野戦病院で、はじめて看護の臨床現場に立つ。このとき、
入院者が12,000人以上。死亡率42%に及ぶ。

1856年 36歳 クリミア戦争が終結。高い死亡率について、ナイチンゲールは、兵士が極度の栄養失調にかかり、かつ風雨にさらされ続けて疲労困憊したすえ、手遅れとなって野戦病院に送られてくるためであると信じていました。

しかし、戦後になって、当時の状態を、統計学者ウィリアム・ファーと共同で開始した彼女は、25,000人の兵士のうち、18,000人を死なせた主な原因が、戦傷や疲労困憊によるよりも、兵舎病院の過密さと不衛生な状況であるという結論にいたります。

病院の衛生管理の初歩的な事項の注意を怠った責任は、誰でもない、ナイチンゲール自身。クリミアから帰還した彼女が、国民的支持や賞賛の陰で、しばらくのあいだひっそりと沈黙を守った裏には、虚脱状態に陥るほどの衝撃と屈辱があったのです。

ナイチンゲールは、「異常な死亡率の要因」という真実をできるだけ多くの人々に知らせることで再び同じ過ちが繰り返されるのを防ごうと決心します。

そこで、女王や政治家を巻き込んだ隠ぺい工作に対して、「真実の公開」への闘いを挑みます。そうすることで、自らの責任をとろうとしたのです。そして、「真実の公開」への厚い壁を突破するには、客観的なデータに基づく説得力が必要だったのです。ナイチンゲールが統計学と衛生統計へ並々ならぬ情熱を傾注したのはそのためだと言われているのです。

クリミア戦争におけるイギリス陸軍兵士の異常な死亡率の原因を明らかにした『鶏のとさか』と呼ばれる有名なダイアグラムを完成させます。http://washimo-web.jp/Information/Nightingale.htm

 その後、ナイチンゲールは米国統計協会の名誉会員に推薦され、統計分野において国際的な栄誉に輝いたのです。